理由はシンプルだ。「なんか、もういいかな」と思っただけ。
でも、そこに至るまでの道のりは、決してシンプルじゃなかった。
「やめよう」と思う瞬間は、ちゃんと何度もあった
寝起きの咳。
風邪が治りにくくなってきたこと。
コンビニでの出費が地味に響いた日々。
「いつでもやめられると思っていたのに、やめられない。良くない…」
そう思った回数は数えきれない。
でもそのたび「今のきつい仕事が落ち着いたら」──
そんなふうに未来の自分にパスを出し続けていた。
たばこは、ただの嗜好品じゃなかった
禁煙に挑戦してみてはじめてわかる。
たばこは「嗜好品」ではなく、ちゃんと依存性がある中毒物だということ。
そして、私は間違いなく依存症だということ。
身体的には、ニコチンが切れるとソワソワする。
心理的には、コーヒーや深夜やイライラが“吸いたい”を連れてくる。
いつの間にか、自分の感情処理の儀式になっていた。
禁煙外来でさえ、完璧じゃないという現実
「禁煙外来に行ったけど、また吸い始めたよ」
そんな声を実際に何人かから聞いた。
処方薬でニコチン欲は抑えられても、「クセ」や「所作」までは消えない。
だからこそ、禁煙外来は“強い味方”ではあるけど、
最後に必要なのは「自分の内側にあるスイッチ」なんだと思う。
成功した人たちは、何かを「自分で決めた」
リアルな成功者の声は、どれもシンプルで、だからこそ刺さる。
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「検診で“肺に影があるかも”って言われて、ゾッとした」
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「シワが増えた気がして、心が折れた」
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「たまたま吸った1本が、やけにまずくて」
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「先にやめた友人の顔が、若く見えた」
共通しているのは、“ある日”がやってきたこと。
きっかけは何であれ、自分で「今やめる」と決めた瞬間に、風向きが変わる。
私が実際にやったこと
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ライターも灰皿も全部廃棄
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コーヒーをやめて、だし汁と紅茶に変更
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龍角散キャンディとグミを携帯
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親友に「禁煙します」と宣言
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そして、8回失敗
でも、そのたびに「吸わない日」が少しずつ増えていった。
大事なのは禁煙スタート後の2ヶ月。この期間たばこを触らない、目にしない(コレ大事よ!)。
気づけば、吸わない日々のほうが日常になったのです。
こうして、仕事と文化を愛する「たばこを吸わない普通の人」が誕生したのです。
私が伝えたいこと
喫煙していた自分を、否定する必要はない。
あの時間も、自分の人生の一部だった。
でも、やめた今の私は、“煙のない静けさ”がとても心地いいと思っている。
これを読んでいるあなたが、もし今「やめたいな」と思っているのなら、
もう、その気持ちがスタート地点です。
次回予告:「たばこ文化史」へ
次回は、“文化”としてのたばこについて。
映画、小説、縁起物──
たばこが「人間らしさ」とどう結びついてきたかを、少しだけ掘ってみたいと思います。