デザインが筆記具に与えるもの
筆記具のデザインを意識するようになったのは、CROSSのボールペンATXに出会ってからかもしれません。
それまで文具店に勤務していながら、筆記具のイロハもしらない私が、「なんて格好いいんだ……」と見とれてしまった商品です。
筆記具のデザインには、その時代の美意識やライフスタイルが濃密に映り込みます。
筆記具デザインの変遷をざっくりたどる
筆記具のデザイン史は、おおまかに以下のように分けられます。
- クラシカルな時代(〜1930年代)
- 彫金、セルロイド、金属装飾が主流。まさに工芸品としての筆記具。
- モダン機能美の時代(1940〜70年代)
- LAMY 2000(1966年)に象徴される、シンプルで直線的なデザイン。
- ブランド&ラグジュアリーの時代(1980〜90年代)
- モンブランやパーカーのような、重厚感と装飾性を備えた“見せる筆記具”が主流に。
この流れの中で、1996年に登場したATXは、まったく異なる風を吹き込みました。
恐らく「未来の空気を先取りした一本」でした。
CROSS ATX──未来からやってきたような筆記具
ATXが登場した1990年代中盤、世の中の筆記具はまだ「道具感」や「伝統重視」のものが中心でした。
細身のシャープペン、スリムなボールペン、あるいは重厚な万年筆。どれもある種の重さを感じる存在だったのです。その存在の重さ故、どうしても持つ気になれなかったのです。
そんな中、流線型のフォルム、メタリックな塗装、無駄を削ぎ落とした一体感あるクリップを備えたATXは、まるで別世界の筆記具。
「ペンが美しい」と心から感じたのは、あのときが初めてでした。
そして、筆記具の歴史やブランドストーリーを知らなくても「美しさに共感さえできれば良いのだよ」と許されている様な気がしたのです。
カプセルのような安心感と未来感
ATXの形状を眺めていると、ふと“カプセル”という言葉が浮かびます。
それは近未来的でありながら、どこか親しみやすく、丸く、安心感のあるかたち。
かいこの繭、宇宙船の座席、カプセルホテル、あるいは未来のパーソナルポッド──。
筆記具でありながら、手の中のカプセルのような存在感を持っていたATX。
書くたびに、自分だけの空間と時間に入り込むような、そんな特別な感覚があったのです。
iMacより先に未来を見ていた──ATXのデザイン革命
1998年、Appleが発表した初代iMac G3は、デザインの歴史を塗り替えました。
透明素材、丸みのある筐体、ポップで未来的なカラーリング。世界は「流線形と透明の美意識」に包まれました。
でもその2年前、CROSS ATXはすでにその「流線形の未来」を予感させていたのです。
筆記具の世界における「未来と感性のデザイン革命」だったのかもしれません。
特徴 |
iMac G3 |
CROSS ATX |
発売年 |
1998年 |
1996年(前後) |
特徴 |
トランスルーセント素材/ボンダイブルー/丸みを帯びた有機的フォルム |
メタリック塗装/流線型の一体型ボディ/握りやすく美しいフォルム |
革新性 |
IT製品を“楽しくて持ちたくなるモノ”に変えた |
筆記具を“書くだけじゃない、美しい道具”に変えた |
共通点 |
機能美+感性の融合/“未来”を感じさせるデザイン |
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ATX以後の筆記具デザイン
2000年代以降、筆記具の世界にも「美しいプロダクトであること」が求められるようになりました。
パイロットの万年筆「バンブー」などは、同じ美意識を感じました。
文具はただの道具から、「選びたくなるアイテム」へと進化していきます。
ATXは、間違いなくその流れの先頭に立っていたと思うのです。
おわりに 佇まいを生み出す一本
CROSS ATXは、時代の中で“浮いて”いたのではなく、時代より一歩先を歩いていた筆記具だったと思います。
それは派手ではないけれど、自分の手元にそっと未来を届けてくれるような、静かな存在感。
美しいものは時間の洗礼を受けても、やはり美しいのです。