なぜ彼は『金枝篇』を持っていたのか?
アニメ『交響詩篇エウレカセブン』。その中で、ある登場人物が持ち歩いている一冊の書物──それが、ジェームズ・ジョージ・フレイザーの名著『金枝篇(The Golden Bough)』です。
当時、私はそれが何を意味するのか分かりませんでした。
けれど後に「貴種流離譚」という物語の型を知ったとき、
この二つのキーワードが強烈に結びつく瞬間が訪れました。
この物語は、“王が死に、新たな王が誕生する”構造を内包している。
そのことに気づいたとき、私はまるで物語の奥底から呼びかけられたような気がしたのです。
『金枝篇』とは何か──王は殺されなければならない
『金枝篇』は、世界中の神話・儀式・民俗信仰を比較し、
「死と再生」「王の交代」「生贄の循環」といった共通モチーフを抽出した学術的な大著です。
その冒頭に描かれるのは、イタリア・ネミの森での奇妙な王位継承:
森の王は、“前任者を殺すことでしか”その座につくことができない。
つまり王であることの条件は、「殺されるべき運命」であるという逆説。
これが象徴するのは、“命の循環”であり、“再生の儀式”なのです。
そしてこの構造は、英雄譚の深層と一致します。
『エウレカセブン』のホランド──終わりゆく王の物語
物語の前半、ゲッコーステイトのリーダー・ホランドは、英雄としてのカリスマとともに、「崩壊と終焉」の予兆を漂わせています。
- 権威を保ちながらも、かつての理想を失いかけている
- 若きレントンに対して、嫉妬にも似た感情を抱く
- 彼自身、前時代の「英雄」であり、「退場すべき王」
彼の手にある『金枝篇』は、自らの終焉と新たな英雄の登場を知るための“黙示録”なのです。
当初、私はホランドが金枝篇を持ち歩き繰り返し(?)読んでいる様子を見て、何を象徴しているのかよく分からなかったのです。
ホランドは本来「次の王」として嘱望されていました。しかし結局彼は王になりませんでした。ホランドの兄「デューイ」が彼らの父を殺し「前任者殺し」を成し遂げたと言えるでしょう。
しかし、ホランドは金枝篇を読みながら次の王(物語全体を俯瞰すると、恐らく少年レントンを示している)を探し続けていたのでは?と考えてしまうのです。
貴種流離譚を演じながらも、それを裏切る「何か」を待ち続ける男、それがホランド。
レントン=貴種流離譚の体現者
主人公・レントンは、典型的な“貴種流離譚”の構造をたどります。
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高貴な血筋(英雄の息子)
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家出=追放
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エウレカとの出会い=運命の導き
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仲間や敵との戦い=試練の旅
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一度完全に折れる(象徴的な死)
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覚醒し、使命を知る
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帰還と世界の救済
この流れはまさしく、
『金枝篇』が描いた“王殺しと再生”の神話パターンそのもの。
レントンは、旧世代のホランドに見送られながら、
“新たな王”としての道を歩んでいきます。
呼び起こされた記憶──物語は儀式の残響
岡田斗司夫さんの動画で「貴種流離譚」の構造を知ったとき、
それはまるで、『エウレカセブン』の奥深くに潜んでいた回路が起動したかのような衝撃でした。
物語は、私たちが忘れていた「儀式の記憶」なのかもしれない。
『金枝篇』という書物が、アニメの中に置かれたこと。
レントンという少年が、王位を譲られ、使命を継ぐ存在であったこと。
それは偶然ではなく、人類の神話的構造を意識して設計された物語である証です。
そして、あなた自身の旅へ
物語は終わっても、その構造は生き続けます。
『エウレカセブン』に感じたときめきや違和感は、
物語の奥にある“構造の声”に気づいた瞬間だったのでしょう。
王は死に、王は生まれる。
その旅を、私たちもまた心のどこかで歩んでいる。
気づいたあなたはもう、次の枝を手にしているのかもしれません。
それは、あなた自身の「金枝篇」なのです。