著者は森博嗣。タイトルは『封印再度 who inside?』。
物語の中にひょいと差し込まれていた、あの“10枚の牛の絵”。
たしか、登場人物のひとりが、禅問答のようにそれを引用したのだった。
読んだ瞬間、背筋がぞわっとした。
なにこれ。なにこの物語。なにこの静けさ。
私はすぐに「十牛図」を調べて、
インターネット上で図版を見つけて、
そこからずっと、この“牛”に囚われている。
🏪 書店員だった私と「ビジネス書の棚の十牛図」
当時、私は書店で働いていた。
哲学のコーナーの新刊「十牛禅図」を自分のビジネス書コーナーへ平積みした。
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それはもう完全に違和感であり、でも妙に納得でもあった。
「そうだよね……現代人が“牛を見失ってる”って、もうビジネスレベルの話だよね」と思ったのだ。
そのときから私は、十牛図はどこにでもあると思っている。
駅のホームにも、カフェのカウンターにも、Slackの裏にも。
🖍 わたしなりの「ポップ十牛図」
そんな十牛図との距離感を、
もっと身近にしたいと思って、私はある日「ポップ十牛図」を描いた。
それがこれ。
🎯 現代語訳してみた10ステップ(ざっくり)
元の図 |
わたしなりの訳 |
尋牛 |
自分探し迷子モード |
見跡 |
自己啓発に片足ツッコむ |
見牛 |
チラ見え!内面の正体 |
得牛 |
自己肯定感アゲアゲ期 |
牧牛 |
習慣と感情の調教中 |
騎牛帰家 |
牛に乗ってチルタイム |
忘牛存人 |
“自分らしさ”とか、もうどうでもいい |
人牛倶忘 |
境界溶解モード |
返本還源 |
「ただいま」って自然に言える |
入廛垂手 |
世界にやさしさを還元する人 |
🧠 牛って、結局なんだったの?
ここまで読んで「牛ってそもそも何なの?」と思った方、正解です。
十牛図の「牛」は、いろいろな解釈がありますが、ざっくり言えば“私が制御したいと思っている、コントロール不能な何か”の象徴です。
たとえば——
- 逃げまわる欲望
- 繰り返す怒り
- 他人からの評価に縛られる心
- 沼にハマって抜け出せない習慣や依存
一方の「人」は、それをなんとか制御しようとする“私”自身。
つまり、「牛」=コントロールしたい欲望、「人」=それを制御しようとする私。
この二者の関係が、十枚の絵を通して変化し、最後には「どちらも忘れる」境地へと至るのです。
🌀 牛が消えた先に何があったのか?
そして、この“牛が消える”あたりから、十牛図は急激にエキセントリックになります。
- 牛が消える
- 人も消える
- 風景だけが残る
いったい、何が起きているのか。
「心の旅の終点」が “無人の山の風景” って、どういうことなんだ。
でも──
牛が消えた先に、何かがあった。
その答えが、十牛図の最後、第十図「入廛垂手」に描かれています。
☕ 次回予告:「ふくよかさん、ただいま」と言う。
第3回では、私がいちばん言いたい話をします。
- 衝撃の「人牛倶忘」
- 謎の「ふくよかさん」の正体
- そして、“市井へ戻る”という最終図にあるやさしさとは何か
きっとどこかで、あなたも「ふくよかさん」に出会っているはずです。
ではまた次回。