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十牛図第1.5回:牛を追いかけすぎて逆に迷子になる

以前noteに書いた「十牛図」の記事、実は私の中では、あれっきりで終わったつもりはありません。 あれは始まりでした。

──というのも、十牛図というのは一度読んだら終わりというものではなくて、

読めば読むほど、見れば見るほど、ふとした瞬間に「あ、これ“牛”じゃん!」と気付かされる。

チルタイムの話をしていても、急に十牛図が顔を出してくる。

道に迷っている時も、やる気が出ない朝も、たまに牛が遠くで「モ〜〜」って鳴いてる気がする。

もはや私にとって十牛図は「長年連れ添った変な友人」みたいな存在です。

なので今回から少しずつ、「十牛図的な出来事」を、マイペースに追記していこうと思います。

これはその1.5回目です。

【今回のテーマ】

私、人生のけっこうな時間、牛を追いかけてました。

しかも本当に追ってる最中は「自分は牛を追ってる」なんて思ってない。

むしろ「この道が正しい」と思い込んで、結果、山の奥で迷子になるような感じ。

 

その過程を、自分でざっくり振り返ってみました。

迷子になるまでの歩み

1. 保育園デビューで社会の壁に激突
双子の兄弟がいたので家では常に両思い。
でも保育園で他人という概念に出会い、いきなりの人見知り発症。

 

2. スター性ゼロ
ボール投げも計算もできず、凡庸以下。
唯一、紙とハサミだけが何とかなってた。

 

3. スパルタそろばん道場に放り込まれる
半年で計算がバグって速くなり、他の成績もなぜか連動。
記憶力と計算のスピード(26歳までは無敗)だけで生きる。

 

4. 地方都市の「双子秀才」枠に収まる
でもその特殊性ゆえに疎外感を蓄積。
ひねくれが熟成し始める。

 

5. 中学=軍隊。思考ゼロの日々
悩む暇がない。でもたまに疎外感に苛まれる。

 

6. 高校でユニークさの終焉を知る
「想像通り特別じゃなかった」と絶望し、努力という概念に初遭遇。
努力秀才枠に収まる。

 

7. 大学でやっと自由に呼吸
「苦手な人と話さなくていいって最高じゃん!」
何故か孤独な方が人に好かれる矛盾に?マークがたくさん。

 

8. 人に気に入られたい病、発症中
そのまま社会に突入し、「望まない就職」に玉砕。

 

9. ニート期間で牛を見失う
どこにいたっけ、あの牛(良いと言われていた仕事を放棄し、何の為にいきているか分からなくなる)。

 

10. 文具との運命的出会い
なぜか鉛筆と消しゴムを売ることには恥ずかしさゼロ。
この仕事、たぶん性に合ってた。

 

11. 夢中になると、褒められる
褒められると、有頂天になる。まさか何かの才能あったの?

 

12. 「天才」は状態だと知る
好調が続くと人は調子に乗るが、不調は必ず来る。
そう、それが牛の導き。

 

13. 「目立ちたい欲」にやっと気付く
でも「普通に良い」が最強説に感銘を受け、中庸を志す。

 

14. “より広く優しく”がモットーになる
地味な日々、悪くない。牛も静かに横にいる感じ。

そして今

「人生の牛、いたなぁ」と思い返せるようになった今、
あの頃、無我夢中で追いかけていたものに、ちょっとだけ感謝できる。

迷子だった時間があったから、今の場所が心地よく思える。

チルタイムって、結局そういうことかもしれません。

 

おまけ:あなたの“牛”は、今どこにいますか?

「あたたの牛」思い当たることありますか?

次は「第2.5回」になるかも。