そんななかで、今でも鮮明に記憶に残っている展示会があります。
それは、ぺんてるが開催した、ある革新的な展示会でした。
「静かなメーカー」が変わった日
当時(2010年代)のぺんてるは、誠実で安定した製品をつくるものの、やや元気がない印象のメーカーでした。
しかし、新社長・和田氏が就任したあたりから、展示会がガラリと変わり始めたのです。
印象的だったのは、展示会での「SNS投稿OK」という方針。
まだ多くの企業が写真撮影を制限していた時代に、これは非常に大胆で、時代の変化を象徴するものでした。
展示空間のデザインも洗練され、どこか期待感を感じさせる空気が流れていたのを覚えています。
色をつくるワークショップという魔法
その頃の展示会で、私は忘れられない体験をします。
それは、ゲルインクの“色の調合”ワークショップ。
開発担当者のサポートのもと、好きな色を自分でつくり、2本だけ持ち帰ることができるというイベントです。
この言葉に、参加していたバイヤーたちは目を輝かせました。
誰もが、無邪気に、夢中になって、自分だけの色を追い求めていきました。
勿論私もそのひとり。
目指したのは、孔雀の羽のようなターコイズ。
色が完成すると、担当者が丁寧に全員の調合した色を記録していました。
それは単なるデータではなく、「誰かの好み」という感情の記録、もしくは「時代の色」のように思えたのです。
その色は、現実になった
展示会からしばらく経ったある日、ぺんてるのエナージェルシリーズに「インフリー」という名前で新色が登場しました。通常、黒・赤・青に新色を追加する場合、ピンク・緑・紫が一般的でした。
しかし、発売されたのはターコイズ、そしてオレンジ。
それを見た瞬間、私は全てを理解しました。
「あの時、私たちが作った色だ」
調合体験は、ただのプロモーションではなかった。
それは、バイヤーとしての私たちの「本音」を、自然に、楽しく引き出すための“仕掛け”だったのです。
バイヤーの「本音」を引き出すには
もちろん、バイヤーは意地悪でウソをつくわけではありません。
でも、商談で「どんな色が売れると思いますか?」と聞かれると、どうしても過去の実績や、他社のヒット商品を意識した答えを返してしまいます。
しかし、「好きな色をつくってください。それを持ち帰ることが出来ます」と言われたとき――
バイヤーたちは、「一人の文具好きユーザー」として無意識に本音を語り始めていたのです。
それこそが、ぺんてるが巧みに仕掛けた「体験の設計」でした。もしかしたら私達に「お客様の本音を引き出す方法」を実践で教えてくれたのかも。
「文具の価値」=「機能」だけじゃない
文房具の世界では、性能やスペックの良し悪しが語られがちです。もしくは、良さを語るためには語るべきスペックが無ければならないと考えられています。
でも、私たちが本当に惹かれるのは、そこにある「物語と心の躍動」なのではないでしょうか。
自分だけの色彩が欲しいという欲求、自分で作った色が製品になるという感動。
そうした体験が、我々をどうしようもなく惹きつけました。
あの展示会は、文具業界の金字塔です。