通い帳とは、掛け買い(後日払い)の月日や品目、金額などを記入しておき、のちの支払い時の覚えとする帳簿です。つまり、買い物に出かけた時、何をいくつ買ったかをお店の責任者に書き込んでもらい、中期の場合はお盆や年の瀬、短期の場合は翌月の末日などに、まとめて代金の支払いを行うために使われます。
こうした商慣習は、どうやら江戸時代から広く一般化していたようで、そういえばTVの時代劇で、空の酒瓶を小脇に抱えたオカミさんが酒屋の暖簾をくぐり、量り売りのお酒をツケで買っていくなんてシーンを見た記憶が……。
通い帳は、いわば商家と常連さんを橋渡しする「信用取引」のツールとして発達し、現代でいうところの「キャッシュレス決済」や「クレジットカード」に通じる役割を果たしてきたのでしょう。
また、通い帳は売掛や買掛を記録する補助簿以外の使途にも用いられてきました。例えば、年貢を米で納めた際の記録が残されていて、その表装に「通い」と大きく書かれた帳簿が現存しています。つまりは納税者がお役人に対して納めるべきものを「○月○日にキチンと上納しましたよ」という証。ちょうど「受取証書」や「領収書」のような扱い方だったのかもしれませんね。
ちなみに、私たちの生活になじみ深い銀行の預金通帳も、これに由来するものだといわれています。通って金銭の授受や取引をした証明を記入するから“通い”の呼び名が付けられたと想像できます。
これらをヒントにあれこれ調べていると、時代小説家である志川節子さんの『春はそこまで 風待ち小路の人々』(文春文庫)にも、通い帳が登場していたことに気づきました。この小説は、江戸の市井の人々の生き生きとした暮らしぶりをいくつかの短編連作で綴った人情ストーリー。
その第3話で、主人公の洗濯屋(現在のクリーニング店)が、お客さんに一冊の通い帳を手渡すエピソードが描かれています。洗濯物を1点預かるごとに判子1つを押すまでは、前述した年貢のお話と同様、領収書としての扱い。ところが、くだんの洗濯屋は「この判子を20個集めれば、次の洗濯はタダにする」という画期的なサービスを提供しはじめるのです。
そう、まさに「ポイントカード」のよう! 主人公は通い帳をガジェットに、作品の舞台となる芝神明宮門前町の商店街を活性化しようと奮闘します。
今も連綿として絶えない通い帳の文化
さて、この通い帳……実は現在も文房具店で見かけることがあります。