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パスタは折るべきか、折らざるべきか──麺にまつわる軽やかな思索

パスタと言えば、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」。なんともオシャレなことにロッシーニ作曲「泥棒カササギ 序曲」を指揮しながらゆで時間の塩梅を見ようとするシーンから始まる。

1.パスタとは?──「スパゲッティ」の時代を経て

子どもの頃、食卓に並んだのは「スパゲッティ」だった。
ナポリタンやミートソース、時にはタラコ味。
あの頃は「パスタ」なんて言葉はまだ身近じゃなかった気がする。

いつの間にか「パスタ」という言い方が一般的になった。
それはおそらく、スパゲッティだけでなく、ペンネ、フィットチーネ、フジッリ……といったさまざまな“イタリアの麺”が、私たちの台所に広がったからだろう。
今やスーパーの棚にも「ショートパスタ」「ロングパスタ」といった分類が並ぶ。
「スパゲッティ」は、実は“パスタ”という大きな分類の中のひとつに過ぎなかったのだ。

言葉の変化は、食の多様化の証。
麺ひとつとっても、世界は広く、奥深い。

2.パスタとイグノーベル賞──折れる瞬間を科学する

実は「スパゲッティを折るとどうなるか?」というテーマで、イグノーベル賞を受賞した研究がある。
2006年、アメリカの物理学者2人が「なぜ乾燥スパゲッティは2つではなく、3つ以上に折れるのか」という謎に挑んだ。結果は、“振動と反発力の複雑な相互作用により、1カ所が折れるとその反動で他の部分も折れる”というものだった。

そして2018年には、MITの研究チームが「どうすれば“スパゲッティを正確に2つに折れるか”」を解明。
ひねりながらゆっくり折ると、バキッではなくパキッと綺麗に折れるという。
──そんな研究、なぜしたの?というツッコミはさておき、
“何気ない日常の不思議”に真剣に向き合う姿勢こそ、科学の面白さかもしれない。

3.パスタを折ると怒るイタリア人?──文化と作法の話

SNSや動画サイトには、「パスタを折って鍋に入れる日本人」に対し、驚き、時に怒るイタリア人のリアクション動画がたくさん投稿されている。

なぜそんなに怒るのか?
理由はいくつかある。

  • 本来、ロングパスタはソースを絡めるために長く作られている

  • 短くなると、フォークに巻きづらくなる

  • 中途半端に折ると、茹でムラが出ることもある

  • そして何より、「パスタはこうあるべき」という“食文化の誇り”がある

パスタはイタリア人にとってただの主食ではない。もし調理上の問題やフォーク云々だけが問題ならば、あんなに怒りはしないだろう。
家庭の味であり、地域の伝統であり、アイデンティティなのだろう。

もちろん、私たちが日常で「鍋に入らないから折ろうかな」と思うのも自然なこと。
けれど、そこに“文化の違い”があると知っておくだけで、料理は少しだけ豊かになる。

4.あなたは折る?折らない?──日常の選択に宿る哲学

スパゲッティを鍋に入れるとき、少し躊躇してしまうことがある。
「ああ、このままでは鍋に入りきらない」──と。

選択肢は2つ。
折るか、折らないか。

この選択に、意外と人格やその人の思想が出るのだ。

たとえば、「ハウスキーパーとしての私」は、迷わず折りたい派。
効率よく収まるし、茹で時間も均一になる。鍋も小さくて済むし、洗い物だってラク。
日常の快適さを優先する自分が顔を出す。

一方で、「本物に執着する、ちょっと粘着質な私」は頑として折らない。
イタリアの食文化を尊重し、パスタが鍋に沈み込むまで、じっと見守る。
フォークにくるくる巻きつけるあの長さを、きっちりと守りたい。
「それがパスタというものだ」と思ってしまう、“面倒くさい自分”がいるのだ。

どちらの私も、概ね間違っていない。
どちらのパスタも、概ね美味しい。

だから私は、毎回こうして少し悩みながら問う。
「今日の私」はどっち派なんだろう?と。

そして、くつくつと湯が沸き始めた鍋の前で、
パスタを折るか折らないか──運命の分かれ道だ。

おわりに──あなたは、折る派?折らない派?

今夜のパスタ、どうやって茹でますか?
もしよければ、あなたのスタイルを教えてください。
それはきっと、あなたらしさが出てしまう小さな選択。

白身魚と昆布とトマトの冷製パスタ