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社員も知らないKDMの起源を求めて 中編

文具・文房具のKDM(Knowledge Designer’s Mart/ナレッジ・デザイナーズ・マート)のブログです。お客様に伝えたい想いや、KDMスピリット、はたまたKDMの日常の舞台裏まで。私たちのありのままの姿を発信しています。

倉庫から出てきた古い帳簿をもとに、在籍社員もあまりよく知らないKDMの起源を調べ始めました。

前編「初代浅治郎期」はこちら

前編は帳簿の発見から、初代浅治郎期のお話しでした。
今日はいよいよ二代目藤蔵期のお話。

【二代目 藤蔵期】

納めた物品が書かれていて、今回はしっかり読めます!「尋六唱歌」「尋五算術」「高二國史」「岩野田小学校」など。

いよいよ教科書供給の権利を取得し書店事業が始まります。

帳面は複写式になり、今の伝票に近い体裁になってきました。

こうしてみると、罫線が入っている、提出用と保管用の複写スタイルなど帳簿の仕様が飛躍的に進化しています。前編で登場したものは、罫線も無く、全て筆文字。更に日付や価格も記載場所は概ね決まっているものの気分次第。一瞥しただけでは取引内容を理解するのは困難です。同じ体裁で整頓された書式は、会計業務に大きな貢献をしたことが理解できます。

納品内容は教科書・教材がほとんどですが、石鹸や白墨(チョーク)など文房具がわずかではありますが混ざっています。

帳簿内に出てくる岩野田小学校や上伊自良小学校(現伊自良北小学校)、博愛小学校、桜尾小学校、富岡小学校は存在していて、今も商品を納めています。教科書を紛失した子や転出入学生の教材準備、学習指導要領など今も続いている業務の原形ができてきました!

この頃の屋号は「信田屋」

実はここで、ある事実が発覚します。当時藤蔵さんは教職についていて信田屋運営への関わりは少なく、実際には奥様の「ダイさん」と若奥様の「ちえこさん」が切り盛りをしていました。

書店事業は二代目でスタートしました。さて、いつになったら文具店の業務がでてくるのか。

2回で完結予定でしたが、想像より長くなってきましたので後編「義朗期」へ続く!