通常、私たちが扱っている文具には、パッケージに製品情報をインプットしたバーコードが印刷されていたり、メーカーさんに再発注する際に役立てられる品番などがシール貼りされていたりします。ところが、この箱のおもてには、ただただくだんの不思議な名前が添えられているだけ。唯一、側面に「宮本製作所」の名とアドレスが書かれています。
実はこうして手に取って中身を見るまでは、私自身にとっても謎の商品でした。
さて、箱を開けてみるとそこには!
その答えをお話する前に、まずはこの商品の製造元である宮本製作所さんからご紹介してまいりましょう。
宮本製作所は兵庫県三木市平田に工場を構える老舗メーカーさん。例えば、左官屋さんが使う鏝(コテ)などを製造し、昭和初期の創業当初からプロ仕様の金物を作ってきました。その類まれな技術力は道具を使う職人さんたちの折り紙付き。今なお高い評価を浴びる逸品の数々を提供し続けています。
そして、同製作所のもう一つのヒット商品が、肥後ナイフシリーズです。
昭和生まれの皆さんならきっと「肥後守(ひごのかみ)」という名前を一度は聞いたことがあるはずです。肥後守は明治29年頃に誕生したとされる、折りたたみ式のフォールディングナイフ。かつて、とある金物商が鹿児島から持ち帰った小刀を元に作られ、一説には当時取引先の多くが九州南部だったことから製品名に熊本の旧国名である肥後を付けて販売したのが由来となっているそうです。
ちょうど現代におけるカッターナイフのような存在だったのでしょう。一家に一本は常備されていたほど一大ブームとなった肥後守が、安価で実用的な国民的ナイフとして全盛期を迎えたのは昭和30年頃でした。兵庫県三木市は、古くから「播州三木は打刃物の名産地」といわれていたように、肥後守を扱う製造業者が多数ありました。宮本製作所もその一つ。もともとは三木洋刃製造業者組合の組合員としてこの商品を製造していましたが、やがて脱退。現在、肥後守は永尾かね駒製作所の登録商標となっているため、この名称が使えず、宮本製作所独自の商標として新たな名を登録するに至ったというのが、この勇ましいネーミングの秘密のようです。
そう! 剣聖 宮本武蔵は、切っ先鋭い肥後ナイフのブランドネームだったんです。
鉛筆を削るのに、これほど素敵な小刀はない
以前、「森繁ペーパーナイフ」の記事でもお伝えした通り、文房具店ではいつからか、安全上の問題で、あまり刃物を扱わなくなってしまいました。肥後ナイフも、やがて全国に広がった「青少年に刃物を持たせない運動」のあおりを受け、次第に消えゆく商品となってしまいます。
しかし、鉛筆を削ったり、細かい作業をしたりする時に便利な肥後ナイフは、往時を懐かしむ団塊の世代を中心に、今また静かなブームを巻き起こしつつあります。きっと40代〜50代の方々にとっても思い出深い商品ではないでしょうか。昔の子どもたちは、この道具を使って鉛筆を削ったり、竹を器用に細工して竹トンボを作ったりしていたものです。もちろん使い途の応用範囲は意外に広く、園芸、木工、キャンプと、1本あればなんでもこなす頼もしい万能ナイフなんです。
せっかくなので、私も鉛筆削りにチャレンジ! ピカピカに磨き上げられた鞘から肉厚な刀身を引っ張り出すと、さすがに刃物ですね。うっかり手を滑らせたら指を切ってしまいそうで若干の恐怖心が湧いてきます(笑)。
でも、ブレードを全開し、チキリと呼ばれる刀身後ろの突起を親指で抑えれば、握りが安定します。とにかく「刃先より前に指を置かなければケガをすることはない」という基本を守りながら、さっそく左手に鉛筆、右手に肥後ナイフを持ってスタート。最初は力の入れ加減に悪戦苦闘しましたが、慣れてくると、サクサク面白いように鉛筆が削れていきます。やがて、木と芯の部分をバランスよくどう削るか、芯をどこまで出すか、無心で没頭する時間が心地よくなっていました。
「子どもに刃物を与えるなんて!」と、親御さんはとかく心配になっちゃうものですが、意外と子どもたちのほうが器用に使いこなせるかもしれません。緻密な作業の練習になると思います。事実、各地の小学校では、子どもたちに肥後ナイフを与え、教育の一環として使い方の指導をする例もあるようです。
肥後ナイフは、かつての子どもたちにとって、常にポケットに忍ばせて持ち歩いていた「相棒」であり、「武士の刀」に匹敵する宝物でした。そう考えると、宮本武蔵の名称は伊達じゃありません。自動化やデジタル化が進み、便利なツールがそこかしこにあふれている今だからこそ、こうしたアナログな道具にも目を向けてみる価値があるのではないでしょうか。