はじめに
ノートは、単なる学習や記録の道具から、日々の生活に寄り添う「ライフスタイルの一部」へと進化しています。第三回では、現代におけるノートの新しい価値と、それを支えるカルチャーを掘り下げていきます。
1.“思考のためのノート”たち:ノートは気分で選ぶ時代へ
マルマンの「ニーモシネ」、ミドリの「MDノート」、デルフォニックスの「ロルバーン」。これらは、書くことが“タスク”ではなく、“気分”や“創造性”と結びつくノートです。
-
「ニーモシネ」:ビジネスとアイデア発想を両立する機能美。
-
「MDノート」:余白と静けさを感じる、思考に寄り添う紙。
-
「ロルバーン」:カラフルでポップ、それでいて実用性が高い。
書き心地、紙質、デザイン、そして「使っていて気分がいい」という感覚。これらの要素が、“書くとノッてくる、良いアイディアに出会う”セレンディピティを生み出しています。そして、良いノートは“集めたくなる”、“毎日書きたくなる”という付加価値を持つようになったのです。
2.癒しと自己表現:日本人と「書く」という文化
実は、日本人は古来から“書くこと”と深い関係を持ってきました。
たとえば、平安時代の紀貫之が『土佐日記』で「男も書くという日記というものを、女である私も書いてみようと思って書くのである」と記しているように、日記は自分自身と対話する文化として根付いてきました。
そして現代でも——
-
2007年の調査では、世界のブログ投稿の37%が日本語だったという驚異的な記録も。
-
ドラマ『シャーロック』では、戦争で心に傷を負ったワトソンに対し、セラピストが「日記を書くように」と勧める場面が登場。
このように、「書くこと=癒しであり、自己の回復」という視点が、現代においても脈々と続いているのです。
3.専門店から見る“ノートと人の関係”:なぜノートは生き残ったのか?
2000年代初頭、「IT革命」が叫ばれ、ペーパーレスがもてはやされた時代。ノートは、手紙と同様に「いつか消えるもの」と思われていました。
しかし、実際には違いました。
-
ノートは現在でも売上が堅調なカテゴリーであり、
-
一周回って「やっぱり良い」と見直されている道具でもあります。
なぜか。
それは、SNSやクラウドで「すべてが共有される」時代にあって、自分だけの、スタンドアローンな世界を持ちたいという欲求が再び高まっているからではないでしょうか。
誰にも見せない記録。
見返して思い出せる感情のログ。
考えが広がった瞬間の証拠。
こうしたノートの在り方に、今の人々はどこか憧れと安心感を見出しているのです。
おわりに
ノートはもう、ただの紙束ではありません。
それは自分だけの思考の空間であり、記憶の住処であり、未来の種をまく場所です。
そして、ノートを選ぶという行為そのものが、「どう書きたいか」「どう生きたいか」という問いと重なっているのかもしれません。
これからも、ノートのある暮らしを。